FC町田ゼルビア中島裕希選手の体験談

当時のことはあまり思い出せないけれど一つ鮮明に覚えているのは、夜が真っ暗だったこと

東日本大震災の時には仙台のチームに在籍していたので仙台市に住んでいました。
友人たちと食事に出ていたところ大きな揺れを感じて、すぐにお店の外へ飛び出すと電信柱や電線、木、ガソリンスタンドの看板、ありとあらゆるものがゆさゆさと揺れ、橋や道路にはひびが入り、足元の地面も波打つように動いていました。

住んでいたのが高層マンションの27階ということもあり、真っ先に頭に浮かんだのは妻と愛犬のこと。「どうしているか、無事でいるのか」それだけが心配でした。帰宅途中で同じく家に戻ろうとしていた妻と運よく再会し、自宅に戻ると、テレビや冷蔵庫、家具などが倒れ、家の中はぐちゃぐちゃ。そんな状況の中で愛犬は一人ソファの上で震えて待っていました。

ケガなどの被害はなかったのですが、そんな自宅で過ごすことはできず、最初は車の中で過ごしました。その後妻と愛犬は関東の方へ移動し、私は一人仙台に残り、知人の家で過ごすことになりました。そのお宅は一戸建てだったので比較的被害が少なく、食べ物のストックが沢山されていたので、避難所へもらいに行くことはなく過ごすことができたのはありがたかったです。
その他、実家に身を寄せたりして、ようやく自宅に戻る事ができるようになったのは、震災後3週間ほどたってからだったと思います。

その期間にどんな生活をしていたかとか、どんな様子だったかということが、正直あまり思い出せません。でも、一つ鮮明に覚えているのは、夜が真っ暗だったこと。停電で辺りには灯り一つ無く、まさに漆黒の闇。でも遠くを見つめると空が真っ赤に染まっていて、、、その異様な光景は今でも目に焼き付いています。(後で知ったことですが、地震の影響で工場の火災が発生していたそうです。)

今は家族も増え、何かあった時のためにすぐ持ち出せるように非常食とか水とか懐中電灯、電池など防災用のグッズは色々用意しています。でもよく考えると子どもの成長に合わせたアップデートはしていなかったのと、家族間での連絡手段の確認はしていなかったですね。震災当時はSNSが比較的つながっていたようでしたけど、一度家族で、どうすべきかよく話し合って決めないとですね。

中島 裕希 (なかしま ゆうき)選手

FC町田ゼルビア所属
ポジション:FW(フォワード)
背番号:30
出身地:富山県高岡市
所属チーム暦:成美サッカースポーツ少年団→FCひがしJrユース→富山第一高→鹿島アントラーズ→ベガルタ仙台→モンテディオ山形
を経て2016年にFC町田ゼルビアに加入
ニックネーム:ユウキ、ナカシ